皆さん、こんにちは。
いのちと性の自己決定をサポートする、あいのちの佐藤鼓子です。
昨日は「子どもの意思を尊重する」というテーマで書いてみました。
子育てにかかわる大人なら、それが親でも先生でも、直面することの多いテーマだと思います。
自分の意思を持ちながら、目の前の相手の意思を尊重することが、何と葛藤のあることか!
(決して、大げさな表現じゃないことは、多くの大人がご存じですよね…)
「正しいと思うことを聞いてくれない」「早くやってほしいことがあるのに、相手が反発する」なんて、大人と子どものかかわりだけでなく、子ども同士でも、しょっちゅうあります。
(遊具や玩具の取り合い、順番待ちの喧嘩なんて、子どもたちには日常茶飯事!)
特に大人は、たくさんの体験・経験を積み重ね、それまでの人生から、社会で生きるには一定の規範やルールを守る必要があることを熟知し、子どもと接するにも、周囲を気遣い、いろいろな条件の中から最適と思われる、自分なりの感覚値を得ていますからね。
そんな入り組んだ「あやとり」のように、複雑な環境下でも、難なく、自然と、スムーズに、子どもの意思を尊重できちゃう人もいるかもしれません。私自身はたくさんぶつかり、たくさん失敗もして、長い間、試行錯誤してきました。(あ、今も目下、試行錯誤中です!)
でも、実は「自分から相手へ」という視点の前に、自身がまず「自分の意思を尊重できているか」「在りたい私でいるか」が重要なんだと、根源的なメッセージに改めて気づきました。
「自分の意思を尊重する」「在りたい私でいる」とは、どういうことでしょう?
「自分でやりたいことをやるなんて当たり前。自分は自分」と感じる人ほど、ちょっと待って!
いくつかあるキーワードの1つとして、今回は「情報」に特化して、見てみましょう。
SNSやテレビ、ネットで、フェイクニュースも流れる中、溢れる情報から、正しい情報を探そうとするあまりに、情報過多になりやすい現在の情報社会。
情報に振り回され、疲弊していませんか?
誰かの「ちょっと良い日常」や「正しい、間違い」の激しい議論に、もうスマホを見るのも嫌になる時はないですか?
私自身もちょうど昨日、自分の立ち位置を見直す機会がありました。
昨日、ある医師の投稿をSNSで見つけて、すごくショックを受けました。
その投稿では「カンガルーケアと完全母乳は、発達障害の原因!」と言い切っていました。
カンガルーケアとは、赤ちゃんが生まれてすぐに、裸のまま、母の胸で直に抱っこすることです。(裸のまま、といっても、抱っこした上からタオルをかけるなどの保護はします。)
皮膚が直に触れることで体温維持や呼吸安定が体重増加を促進するため、もともとは1979年に南米コロンビアで、極度の低出生体重児向けに始まったケアです。ストレスの多いNICU(新生児集中治療室)環境の家族にとって、愛着形成に有効だと考えられ、WHOが母子保健戦略として推進しました。
日本では1996年に聖マリアンナ医科大学横浜市西部病院周産期センターで全面的に取り入れられ、NICUを中心に、急速に普及。2000年以降は、母子関係の強化・確立を目的に、正期産母子の場にも拡大しました。
正期産後のカンガルーケアの有効性と安全性は、信頼性の高さで世界的に評価される医療情報発信組織、コクランの2007年レビューで、30の文献、1925組の母子において検討され、母乳率の向上や母乳期間延長に対する有効性が認められ、カンガルーケアの有害性は認められませんでした。
また、この医師が言及している「完全母乳」というのは、生後3日間、授乳量は少なくても、栄養豊富な初乳が出ることと、胎児の頃から貯めてきた栄養があるため、人工乳を与えないことを指していました。それを「科学的根拠がない」「栄養不足に陥る」と批判していました。
ただ、メリットがあれば、その反面で、リスクが存在するのも当然です。生まれたての赤ん坊は、体調が急変することもあり、ここでは詳細は割愛しますが、どんな状況でも100%やるべきケアということはありません。
だとしても、この医師の指摘は、特異な症例をいきなり全体へ投げ込み、安直に結びつける乱暴な論調で、他の人が論文で賛同している様子もなく、検証性に欠ける、無責任な発信だと感じました。これで傷ついたり、不安を煽られる人が出ないか、危険を感じたのです。
ただ、そこで、私が感じた危機感もっと掘り下げると、この情報過多の社会で、情報にどう向き合うかのヒントがあふれていました。
私はなぜこの医師の発信に揺さぶられたのか。
それは、わが子が発達障害の診断を受けている=当事者の親だからであり、今まで「良い」と信じていたカンガルーケアや母乳育児を否定されたからでした。
でも、完全=無批判に「良い」ものはないので、冷静になれば、どんな批判も、自身の考えとは合わなくても、受け止められたと、今になって、改めて、捉え直しています。
人はさまざまな価値観の下に暮らしています。
すごく多様な価値観の中で、どんな考えで過ごすかは、その人の自由です。
たった1人の医師の不明確な発信を真に受けることなく、「それは私の考えとは違う」と落ち着いて捉え、私は不安にならなくてもよかった。
その医師はまったくそんなつもりがないかもしれないのに、勝手に不安になっていたのは、私です。私が自分で「不安」になることを選んだ、とも言えます。
不安になった「私」を「自分の立ち位置や、これまでやってきたことを否定されるのが怖かったんだ」とそのまま認めればよかった。
揺れることは悪いことではなく、事象に対する自身の素直な反応だからです。
喜びや幸せは良い感情、悲しみや怒りは悪い感情というわけではなく、どんな感情も、大切な自身の反応です。感情を否定することは、自身を否定することと同じで、どんな状態の自分も、まるっと認められると、とても楽になります。
だいぶ長くなりましたが、「自身を尊重する」とは、まずそのままの状態で「いいよ」と認めることであり、「在りたい私である」とは、どんな自分でいるかは、目の前の相手や情報にかかわらず、自分自身で「決められる」ということです。
アドラー心理学でいわれる「人生の嘘」にも通じるところですが、私の人生を歩むのは「自分自身」のほか、誰でもありません。私の責任で、選び取ること、決めることができます。
多くの大人は、社会的規範やこれまで培ってきた経験則に縛られ、「~ねばならない」「~べき」「~にちがいない」と、柔軟に結果を選ぶことが難しくなっています。
でも、私たちはもっと自由になれる。柔軟に選べる。自分を尊重して、在りたい自分でいられる。
今回は「情報の取捨選択」を軸に、「私らしさ」を考えてみましたが、これが「あいのち」が最も伝えていきたいことです。
私が「私」らしくいられること。誰もが「自分」らしく輝けること。
外からの影響や気づきを得つつ、「自分」であることをどんな状況でも認め、「その人らしさ」を大切にし合える地域社会をつくること。
これからも、このテーマに向き合い続け、発信し続けていきます。
迷った方、悩んでいる方がもしいらっしゃったら、その声をぜひ聴かせてください。
皆さんのご意見、ご感想をお待ちしています♡
みんなの笑顔がキラキラ輝く まん丸笑顔の あいのち
すべての人のいのちと性をサポートする誕生学アドバイザー。I(私)に愛を、大地・地球を癒す知が、自身の血肉となって駆け巡るように――自分自身を知り、自尊心を育み、自分も含めて、すべての人の意思が尊重され、自尊心を高めて輝ける社会環境になるよう、情報と機会(場づくり)を提供します。
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