前回の投稿で「逃げるのは恥だ」と思っていた私自身の過去に触れました。
ここで、子どもに伝えたい1つのポイントを強調しておきたいと思います。
逃げるのは恥ずかしいことではありません。
いじめられたり、不登校になったり、何かに失敗したり。
そんなときに、私たちの社会ではよく「逃げるな」「がんばれ」「(向き合わないことは)恥ずかしいことだ」と言われることがあります。
性暴力の被害者が「逃げるな」「問題に向き合え」「もう一度、思い出して」と酷なことばをかけられる場面も数多くあります。またそれが悪いことに、善意の気持ちから、良かれと思って、そう言われることがあるのです。
でも、すべては生きてこそです。
生きるためなら、逃げてもいい。
むしろ生きるために逃げるべきです。
動物は、身を守るために、自分より強いと判断した相手からは逃げます。
それが自然の摂理です。
なのに、なぜ人間は、生きるために逃げると「逃げるな」と言われるのでしょう。
「恥ずかしい」――それは、社会的動物である人間ならではの感覚です。
他者の視点から自分を見つめるからこそ、そんなことばがでてきます。
でも、それは、その人の闘いではありません。当事者ではない人が「逃げるな」と言っているのです。
本人が「逃げたい」と思ったら、逃げていいのです。逃げるべきなのです。
性被害では特に、相手に抵抗できない、恐くて固まってしまう、ひと言も発せられない――そういうことがよく起こります。
そして、被害に遭ったことを思い出したくもない。思い出せば、フラッシュバックが起こり、過呼吸になったり気を失ったり。当時の恐怖や不快感で、心身がつぶれそうになる人もたくさんいます。
だから、逃げてはいけないのではなく、そのときは逃げましょう。自分の存在を守るために。
問題と向き合うのは、ゆっくり休養して、心身のエネルギーを取り戻して、「向き合いたい」と思える余裕ができてからで十分です。
性教育に限らず、子どもの教育に限らず、大人も逃げて良い。誰もが逃げる権利を持っています。
逃げた人を責めるべきではないし、そこに理解を示せる社会でありたい。
逃げても、向き合いたい、気づきを得たいと思えば、いつでもチャンスはあります。
遅すぎることはありません。
だから、逃げることを否定的に捉えず、尊厳を守るための必須の行為だと、尊重しましょう。
その相手への尊重は、必ず自身に返ってきます。尊敬し合う循環が社会関係を熟成させます。
いざというときには、逃げてもいい。大切な相手に、自分自身に、かけ続けたいことばです。
みんなの笑顔がキラキラ輝く まん丸笑顔の あいのち
すべての人のいのちと性をサポートする誕生学アドバイザー。I(私)に愛を、大地・地球を癒す知が、自身の血肉となって駆け巡るように――自分自身を知り、自尊心を育み、自分も含めて、すべての人の意思が尊重され、自尊心を高めて輝ける社会環境になるよう、情報と機会(場づくり)を提供します。
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